劣等感とコンプレックスの間で。

劣等感とコンプレックスの間で、もがき苦しみながら生き永らえるアラサーの日記。

半生を振り返るには早すぎるが。

には大した学歴も職歴もないし、その上やりたいこと、夢中になれることもない。そう落ち込んでしまうことが多かった。でも、何もないからこそ、いい意味で0になれる、今ならそう思える。今も僕は、とあるスタートアップでSaaS系サービスの立ち上げを、PMという立場を任されて0から学び、結果を出せるように試行錯誤の日々を過ごしている。今でこそ好きと思える仕事に携わっている自負はあるが、ここまでたどり着くのには、一筋縄ではいかなかった。

 

 

から夢中になれることはほとんどなかった。唯一、中学校のときにしていたバスケットボールぐらい。あの時には何も考えず、ただただバスケットボールが好きだった。それ以来、僕には何もない。女の子に夢中になったことも、本当に数えるぐらいしかない。

さらにひどいことに、社会的欲求も、承認欲求も薄い僕は、当然大学受験へのモチベーションも湧かない。あらゆる欲がない僕は、なんのために生きているのかわからないぐらい。

一応、関西大学を第一志望として受験したが、見事に落第。結局、神戸のしょーもない大学に。名前は伏せておく。

 

学時代も特に惹かれる授業もなかった。自分への自信もなかった。全てがコンプレックスになった。自信がない僕は、常に馬鹿にされるのが怖くて、人ともコミュニケーションがうまく出来なかった。

でも今振り返ると、大学2年のときから僕の悪あがきが始まったと思う。とにかく興味の赴くままに行動しようと決めた。僕はフランス語を専攻しており、2年に1回だったっけか、フランス語学研修があることを聞き、参加してみることにした。当時はファッションがなんとなく好きで、フランス、もっというとパリの華やかさに憧れがあった。そんな極めて単純な理由だった。初めての海外でもあった。

パリは想像以上に華やかで、美しい街だった。硬いフランスパンも、ベルサイユ宮殿も、レクエルール(セレクトショップ)も、エッフェル塔からの景色も、あらゆるものが衝撃的だったことを今でも覚えている。

 そこから海外に強い興味を抱いた。大学3年の終わりには休学し、1年ほどイギリスに留学した。親のスネをかじりすぎて本当に迷惑かけたなと、今でも申し訳なく思っている。留学中に、さまざまな国を巡った。スペインでは財布をすられたこともあったが、恥をかきながらも一つ一つ学んでいった。

留学中も自分に対しての自信がなかった僕は、外国人ともうまくコミュニケーションが取れなかった。日本語でもうまくとれないのに、英語でとれるはずもない。あまり友達も出来なかった。もっと器用に立ち振る舞うことができれば、外国人の彼女の1人でも作れたのではないかと思う。色々苦しんだが、僕なりに一生懸命日々を過ごした。

 

本へ帰国後は、いわゆる就活をしてみた。面接の練習も、自己分析もアホらしくて全くする気がおきず、そのくせ面接ではうまく立ち振る舞えない僕は、次々と玉砕していった。目指すべき方向性もないまま、ただただ闇雲にエントリーした。ま、エントリー数もおそらく20社ぐらいだった記憶があるが。とりあえず、就活に対してどうしても意義を見出せなかった。

でも動くしかない僕は、とある大手人材派遣会社がしている、就労支援事業に入り、契約社員として社会人デビューを果たした。そこで、自分の見せ方や仕事に対する姿勢をかなり矯正されたのではないかと思う。そこでは、梅田のビルにあるオフィスで事務仕事をしたり、営業をしたり、淡路島でアーティストを育成、支援したり、ウェブ制作をしてみたり。色々勉強させてもらったが、一番の学びは、ゴリゴリの体育会系大企業では働けないということだった。あの洗脳的な環境で働くことがどうしてもアレルギー反応が出た。でもウェブ制作は、僕のITキャリアの第一歩となった。

 

ェブ制作に強い関心がありつつも、なにを思ったか極小な広告代理店みたいなところに就職した。そこで2年半勤めたが、どうしても時代に取り残されている感と、社長に対して微塵も尊敬できなかったこともあり、退職。関西に飽きていた僕は、東京でまた0からやり直すことにした。それがきっかけとなり、積極的に情報収集をするようになった。このとき、自分がいかに情弱であったかを思い知らされた。なかでもNewsPicksには大変お世話になった。そして、以前からのITに対する興味がより一層深いものとなり、結果的に、東京に支社があるウェブ制作会社で働くことになった。

ウェブ制作会社で僕は、 最も基本となるITリテラシーを身につけることができたように思う。さらにチームとして働くことや、その喜びを知ることができた。すぐに態度として出してしまう僕は、よくクライアントとは口論になることもあったが、会社の中では優秀な方だったと思っている。居心地も悪くなった。でも昔から飽き性な僕は、また違うことをやりたくなったので、退職。そして、現在に至るわけだが、今はなにもない環境で、自分自身も0から創り上げていく喜びを感じている。

 

の10年で何度も転職してきたが、確かに当初は給料面もポイントの一つとして重要視してきた。でもあることがきっかけで、本質ではないことに気づいた。仮想通貨である。世間が騒ぐ一年前ぐらいに仮想通貨を購入していた僕は、それなりに含み益を出すことができた。ご存知の通り、アップダウンが激しい仮想通貨では、年収分が3日ぐらいで増減した。これを見ていると、給料の多い少ないは誤差の範囲でしかないという感覚に陥った。しかもお金は画面の中の数字でしかないことが、ある意味衝撃だった。

これからは評価経済とも言われており、信用が一番重要になってくると言われているが、正直な話そこまで割り切れていない未だ拝金主義の僕は、仮想通貨に気付かされた部分はかなり大きかった。

 

生を振り返るのは早すぎるような気がしていたが、30歳という節目もあり、どうしても残しておきたかった。僕の価値観を押し付ける気は全くないが、今、働くということにおいて悩んでいるという人は、今一度自分にとって1番必要なことは何かを、1つだけ見つけることが重要だと僕は思う。あくまでも1つだけだ。それ以外は捨てること。それが何か漠然とした、新しいことを始めたいという感情でも僕はいいと思う。ただし、始めるにあたっては、過去の成功体験からくるくだらないプライドや、給料や、世間体など全てを捨てて、真摯に向き合うこと。それが重要だと思う。確かに僕は成功したわけではないので、そんなに説得力がない話かもしれない。でも僕はそうであると信じている。自分が考える、人生を華やかにする本質以外にこだわっていては、短い人生の中では到底幸せにはなれない。色々えらそうなことを書いてみたが、ブログを定期的に書こうと思っているので、よろしく。皆様の人生がより有意義になりますように。